アスペルガー症候群にまつわる体験談

アスペルガーを烙印と捉えずに自分を知るきっかけにする

60代女性、当時40代

 

発病までの背景

 妹と両親の4人家族です。妹との年齢差は10歳。そのため、一人っ子のように育てられた少女時代でした。
 友達は少ない方でした。小学校に入る前はほとんど一人遊びをして毎日を過ごしていました。
 当時は幼稚園は行かない子供も多かった時代ですから、自宅周辺で一人で遊んでいても、奇異な目で見られる事もありませんでした。
 小学校に入り、友達付き合いに苦労するようになりました。
 いつも一緒にいたのは、女の子の友達一人。親が別の子とも遊ぶようにと助言してくれましたが、他の子とはあまり遊びませんでした。
 学生時代はどこに行っても友達は一人でした。

 

大人になって現れたアスペルガー症候群の症状

 困りごとが増えたのは大学時代からです。
 授業ごとに教室が変わるのが負担でした。
 また、先生がほとんど板書しないため、ノートが取れませんでした。
 聴きながらノートを取るのは非常に困難でした。
 後日、いずれの症状も、アスペルガー症候群ゆえのものと知りました。
 ただし、電話の応対はできました。普通、アスペルガー症候群の人は電話を取りながらメモをするのが難しいとも言われています。
 これだけはできました。親に小さい頃から、厳しく練習させられていたからです。

 

 私は大学院まで行きました。学生時代が他の人より長かったため、社会に出るのが遅れました。
 就職は大学院でできた縁で非常勤講師になれました。担当した時間だけ、自分の教科を教えるという仕事なので、あまり負担はありませんでした。
 困ったのは休み時間に生徒がやってきて、おしゃべりするのに対応しなくてはならない事でした。
 会話が成立しないのです。
 何を話したら良いのか、皆目見当がつかず、結局、生徒が自分で話して、自分で納得して帰って行きました。
 学校での苦労はそのくらいでしたが、40代の頃に親が相次いで病気になりました。
 妹と手分けして介護や病院との対応に当たりましたが、その頃から抑うつ状態に陥るようになりました。

 

私が行った治療

 不眠状態が続き、当時、別の科に通っていた大学病院に精神科があるため、そこを受診しました。
 最初の先生からは「気分抑うつ障害」と診断されました。
 抗うつ薬を処方され、約5年、通院しました。
 しかし、良くなりませんでした。
 医師には介護生活が負担になっているためと言っていました。

 

 担当医が代わって最初の診察の時、「あなたはアスペルガー症候群、高機能自閉症の可能性があります」と言われました。
 その先生に1年診てもらいました。処方薬は、少し減りましたが、大きくは変化しませんでした。

 

 その後、2人先生が代わっています。
 処方薬は、前任者の踏襲でした。
 かえって私にとっては気楽でした。

 

その後

 アスペルガー症候群というのは、私にとって、烙印のようなものだと感じていました。
 その診断名がつく前と、私は何も変わっていないのに。
 でも、診断名が付いたことで、少し気が楽になったようにも感じます。
 自分の中にあった違和感は、アスペルガー症候群の特性の現れだったという事は、少しずつ理解しています。
 そして、違和感の原因を少しでも知っていければ、アスペルガーの改善にもつながっていくのだと思います。

”生きにくさ”を感じるようなら医療機関へ

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