アスペルガー症候群にまつわる体験談

40歳の長男の話

長男は10歳頃場面緘黙症と診断されました。
同級生の誰とも先生とも、学校では話をしないのです。

 

登校拒否も短い期間でしたがありました。
いじめがあったようです。

 

学校も困って養護学校へ行くほどではないけれどもと小学校の先生に言われて特殊学級へ4年生から入りました。

 

学力は普通学級の下位1/3くらいの程度でした。

 

中学も特殊学級でした。
高校は地域で一番レベルの低い高校へ入りましたが授業が終わるとすぐ帰ってきました。

 

家族構成は祖父・祖母・父母・弟と妹でした。
子供頃は、家では仲良く兄弟とも遊んでいました。

 

 

免許は不思議なことに学科も実技も一発で取りました。
就職はしましたが続かず3社位行ったのち今は家にいます。

 

3社とも良く働くから辞めないでくれと引き留められましたが本人ががんとしていかなくなってしまいました。

 

妹の結婚式も2日前に行かれないといって悩んで結局行きませんでした。
そのせいか妹の旦那さんとは話をしません。

 

今は料理に凝っています。
県のカルチャーセンターへ2年間通って覚えました。

 

おじいちゃんとおばあちゃんの葬儀・法事は出ました。
母親以外は余り会話がありません。

 

大人になって私や兄弟とも話をあまりしなくなりました。
これには困っています。

 

ただ必要なときは話をしてきます。
近所の子供のころ可愛がってもらったおばあさんとはよく話をしています。
不思議です。

 

私の長男は精神科の医師よりアスペルガー症候群と診断されました。
長男は今42歳ですがそう診断された時は20歳頃でした。

 

その際この患者は広汎性発達障害であって、その中でもアスペルガー症候群と診断すると言うものでした。

 

そのときの医師の説明は「広汎性発達障害とは社会性の発達やコミュニケーション能力に障害があって物事にこだわる傾向がある。

 

他に想像力が弱いとか感覚が概して過敏である。
知的能力が低い場合があり、知的能力に障害がない場合もある。」と私の日記に書いてあります。

 

私の長男は知的能力が若干ひくい境界型だとその時言われた記憶があります。
他人と話をするときは敬語を多用します。

 

治療は本人に生きる力をつけることだということで、銀行や市役所などの手続き方法を今教えています

 

スマホや音響機器は教えなくともすぐ覚えて使っています。
サッカーの試合やロックのコンサートが好きで自分で段取りして東京へ1泊で
たまに行きます。

 

他人と話をするときは敬語を多用します。
治療は本人に生きる力をつけることだということで、銀行や試薬などの手続き方法を今教えています。

 

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たまに行きます。

”生きにくさ”を感じるようなら医療機関へ

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